古材で新築?

うねるような松の梁、煤で黒光りした柱。

昭和の初期に新築された埼玉のある農家の母屋です。

持ち主の話では、当時建っていた古い母屋に使われていた材を再利用したのだそうです。江戸時代に開かれた新田地帯なので、おそらく江戸時代以降の木材であろうとのことでした。

昔の人は、今のように声高にしなくても、当たり前のようにリサイクルをしていたのでしょう。

 

風化する家

「新潟の築100年の屋敷に住んでいたおばあさんが入院してしまって、誰も住む人がいなくなりました。解体されてしまう前に見てもらいたい」

親戚の人に家の中を案内してもらいました。10畳以上の広間がいくつも続く立派なお屋敷。

部屋と部屋の間は、漆で赤と黒に塗られた板戸が仕切り、浮き彫りの立派な欄間が部屋ごとに異なる柄でしつらえられていました。屋根を支える梁も今では手に入らないくらいの長いものが使われています。一目みて、地元の名士の家であろうと思われました。

このまま機械での解体作業を頼むと、その梁も建具もいっしょくたにぶつ切りにされて即廃材としてチップになる運命。古材を再利用できる形で解体するには、大工が一つ一つの梁や柱を手で解体するしかありません。しかしそれにはあまりにも莫大なコストがかかってしまうという状況でした。親族の誰もその費用を負担することができず、その中の一人である東京住まいの女性が少しでも残せるものがあればということで、連絡をくれたのでした。

私達は後ろ髪を引かれながら、梁や柱はあきらめ、その代わりに幅広の板戸をトラックに載せて持ち帰りました。

特集
古材、大好き!


取り壊される昔の家たち

実は宝の山かもしれません。

レインファーム通信2005秋号

親族の方の想いや、現実的な費用の問題もさることながら、新潟のあの場所に長い歳月大家族の営みが続いていたこと、急激な時代の変化の中で、おばあさん一人が残され、その営みが途絶えてしまったことを考えさせられる出来事でした。

単に家のことではなくて、日本が歩いてきた時代そのものを象徴しているように感じました。

こうして地方の良い建物が姿を消してゆくことは、同時にその地方に息づいてきた衣食住にまつわる伝統的な暮し方の消滅も意味しているような気がします。

もし時代が許すなら、ていねいに解体された梁や柱は埼玉の農家のように再び組みなおされて、第二の人生を望めたかもしれません。もう100年は使えたかもしれないこの家を誰も振り返らない。一方では20年しか持たないとわかっていながら接着剤だらけのベニヤでできた家が次々と建てられては壊されています。  これこそ本当に「もったいない」・・・!

愛着の湧くものに囲まれて暮らす安心感

最近使い古された小学校の椅子や外国の古いドア、昔のドアノブなどに価値を見出す傾向が出てきていると感じます。古いものには新しいものにはない何かがあるようです。

古いものには、鉄、真鍮、木、焼き物 など自然に近い素材に職人が手をかけたものが多いですが、最近のものは、機械で大量生産しやすいプラスチックが多いため、古くなるほど汚くなってしまう、劣化して壊れてしまうなどの問題があり、使い込まれた美しさを楽しむことがなかなかできません。

結果、すぐ飽きる→またお金を出して買う→そのためにお金を稼ぐ という消費中心のサイクルにはまってしまいがちです。

そんななか、こうしたひと昔まえは普通に使われてきた暮しの道具に人気が出ているのは、

年配の方というよりむしろ、そうしたものに子供の頃触れたこともない、20代の若い世代を中心としているようです。

一人よがりに考えてみると、きっと何人もの人に使われてきた、大切にされてきたものがもつ安心感に近いものを求めているのかもしれません。使い捨てが当たり前の今の世の中、代々受け継がれてきたものがものすごいスピードで消えてゆきます。

だれもが予想もつかなかった出来事が世界中で起きていて、少し先の未来さえも予測がつかない今、すこしでも先人達の生き方を感じられるものに、心のよりどころを求めることは無意識かもしれませんが、むしろ自然なことではないでしょうか。

 


今年の春、夜お店を閉めようとしていたら、20代そこそこの男の子が2人ふらっと入ってきました。2人とも一橋大学にこの春入学したばかりの大学生。きっと優秀な高校生だったのでしょう。

手漉き紙を手にとって、しみじみと「いいですねえ、つくってみたいなあ」。

聞けば自分達は大学に合格したものの、何をしたらいいのかわからなくなってしまったのだそうです。何か拠りどころを探してさまよっているような感じを受けました。

「いままでにない生き方」「自分らしく働く」などというかっこいいフレーズが飛び交っているけれど、本当はみんな自分の親やおじいさん、おばあさんがやってきたことを見失っているだけなのかもしれません。自分のルーツを知らぬまま、本来の自分らしさを見つけることはできるのでしょうか。

 

素敵な「温故知新」

古い梁を解体するとき楽しいのは、大工さんの達筆な筆で書かれてあることを読むことです。

建てられた日付や棟梁の名前を見るだけで、その頃の上棟式の様子などが浮かんでくるようです。木の組み方、土壁の下地の竹小舞の作り方・・・その一つ一つが全て人の手によって形づくられているのです。大量生産品もトラックもクレーンもない時代にこんな大きな重い材料をどうやって運んだんだろうか・・・。想像するだけでも当時の家づくりは大勢の人々が関わり、施主も職人もみんな協力しあってこそ出来上がったものだろうと感じます。

今はお金さえあれば家を買える時代。

それでも、古材はそれだけではない何かを今の私達に語りかけてくれているような気がしてなりません。

 

張り子のお面をつくろう!〜夏休みワークショップ報告〜   7月30日〜8月27日

夏休みの週末4週に渡って、お面づくりワークショップを開きました。造形の杉若先生指導のもと、普段は壁や天井に貼っているネパールの手漉き紙を使って、自由な顔を作ってゆきます。

小麦を水で溶いてみんなで煮糊づくりから。子供達は糊づくりが気に入ったらしく、なくなると率先して糊を作り出す「糊職人」も登場するほど。大人のみなさんも無心になって紙を貼り続け、時がたつのを忘れていた方も。色付けは、泥絵の具。今回は自然塗料を調色するときに使う、土の色粉を水で溶いて使いました。楽しくて、ほっとするような色合いの個性的なお面が勢ぞろいしました!